どうも「かなるこ」です
兵庫県に生まれた「カナ」、ビジネスネーム「かなるこ」と申します
今回は私の人生観や生い立ち
16歳の時に父親と死別、いわゆる優等生から社会不適合者への大転落
20代で事実上500万以上の借金、30歳の時に母親の危篤状態から奇跡の復活
会社員経験なし無職から32歳で起業したこと、私が34歳で死にかけた出来事
私は一生無縁だと思ってた社長になれた話など
本当には言いたくない恥ずかしい失敗、チャレンジ
今の仕事をするまでを
お伝えする内容になります
今となっては年商5000万の会社の社長になれて、
自分で言うのもなんですが
ちょっと有名人になって外を歩けば声をかけられたり
好きなことをして好きな人とだけ関わるという
マジで私が心の底から望んでたお金に困らない自由な生活が出来るようになった私ですが
当たり前ですが、最初からこうなったわけではないので
●私が何故無職から起業出来て社長デビューできたのか
●私の生い立ちと人生観
●どんな想いで今スクール運営をしてるのか
●これからのビジョン
●私が伝えたいこと
について相当熱く語ります
『かなるこ』がどんな人間なのか
わかると思うので少しでも私の思いがいいなと思ってくださったら
友達も彼氏もいないので仲良くしてくれると嬉しいです笑
1984年7月16日に兵庫県で生まれました
子供の頃の記憶は、ほとんどなくて覚えてないため
書けることがありません笑
おばあちゃんが相撲が好きだったので
よく家族で相撲を見に行った記憶だけがあります
ハワイで当時絶大な人気があった小錦、曙、若乃花、貴乃花、武蔵丸という大物力士がいるパーティやイベントに参加できる「大相撲ハワイ巡業」があって
相撲を見るをメインにハワイ旅行に連れて行ってもらって
テレビでずっと見てた有名大物力士を目の前にして
一緒に写真を撮ってもらった時は子供心ながらに凄く驚いた思い出があります
小学校受験に失敗したらしく、小学校は仕方なしに区域の小学校へ通って
中学受験をして何とか合格して私立の女子校に通い
中学の時は相当成績が悪く、クラスで最下位になりかけたこともあって
担任の先生からは「もうちょっと勉強しようか」と呆れられて
個人面談の保護者面談で、すごくきまずい空気になったりしたりして
高校はそのままエスカレーター式で進学できました
(ちなみに中学、高校の6年間は皆勤賞で卒業しました)
当時、通ってた私の中学校は中学からは、どんなに成績が悪くても
高校入試の入試代と入学金さえ払えば誰でも高校進学できたんです
つまり自分はそこまで頑張らなくても
親がお金で頑張ってくれたら余裕で高校に進学できたということになります
なので中学から高校に上がった人は成績が悪い人が基本多くて
高校から入学してきた人は成績がいい人という状況になってました
中学時代に、あまりにも成績が悪すぎて、勉強が出来ない自分が嫌になり
「これはヤバイな・・・何かダサい」と思った事から
高校はきちんと勉強をしようと決意した私は必死に勉強をして
高校時代は自分で言うのも何ですが
基本成績は常に上位で、時にはクラスで一番になることもあって
高校時代は成績も良く、いわゆる誰もが認める「優等生」になれました
学級委員長をやったりしてクラスをまとめたり
全校朝礼で表彰されることも多々あったり
ピアノも習ってて、ピアノも地区大会で賞をもらったりした事もあったり
(ピアノしてる人ならわかると思いますが得意曲はショパン、リストの「愛の夢」もやりました)
発表会でも最後のトリにしてもらえたりと
順調な高校生活が始まったのですが
ここで私の人生に衝撃の一回目の出来事がありました
それは父親があと半年の命だとわかったことです
16歳の高校一年生の夏前に突然「カナに聞いてほしいことがあるねん。パパは4年ぐらいの命やねん」だと父親から言われて
父親は何故か私が20歳になるまでの4年は少なくとも生きれると思ってたみたいでしたが
実は後半年僅かの余命だったんです
「パパは後4年は最低でも生きれると思ってるけど、あと半年しか生きれない。だから余計な事を言わないように」と
周りから口止めをされてました
「あとよくもって半年なので、家でよく話し合ってくださいね」と
病院の先生からも言われて
まだ幼かった私は「親が死ぬんだ」という現実が信じられなくて
あまりわかりませんでした
癌が色んなところに転移をしてて、発覚したときは、もう手遅れ状態でした
父親は後4年は生きれると思ってたみたいで
「カナが20歳になるときまでしか一緒にパパはおられへんわ」と
私に言ってたんですが
私は半年ぐらいしか一緒にいれないことを知ってたので
出来る限り父親と一緒に過ごそうと思い
学校が終わったら病院に行き
土日の外泊の時は家でも一緒に過ごしてました
「学校が終わって病院に行って、病院でご飯を食べて、家に帰って朝まで勉強してまた学校へ行く」
この生活が8カ月ぐらい続きました
ピアノ、塾、家庭教師、英会話スクール+バスケット部に所属してたので
今思うと高校時代は本当に忙しい日々でした
平日は部活+習い事、土日は部活の練習もしくは英検の試験かベネッセの模擬試験
一日休みの日がほとんどなかった高校生活でした
そんな中で今でも忘れられないのが
2001年3月17日もいつものように学校が終わってから父親が待つ病院に行き、病室に入ると
いつもと空気が明らかに違って父親の目の焦点が全く合ってなくて
遠い方を見つめてて体中に管を通されてベットに座ってる父親がいて
「あ・・・もう本当に最後かもしれない」と思ったことがありました
「パパ・・・」と話しかけても全く反応がない・・・
目が完全に遠い方を見てる・・・
幼かった私はその時に「もうパパはこの世にいない」と悟ったけれど
「これはきっと今だけで後からまた話せるようになるはず」と思って
その時は現実を受け入れられませんでした
今だからわかることが
死ぬ前の人間は目の焦点が全く合ってなくて
その時はあの世と通信してるんです
そんな父親を目の前にしたときに
「え・・・昨日はまだ普通に話してたのに・・・」
たった1日でこんなに容態が変わってしまうのかと絶望的になったことを
今でも覚えてます
亡くなる一日前の2001年3月16日の夕方
いつも通りに学校帰りに病院に行ったときに
もう弱ってた父親がベットの上に座ってて
「パパはカナが大人になるまで一緒にいられないかもしれへん」
「パパはカナと一緒にいたいんや・・・」と
父親が泣いて私を強く抱きしめられた出来事がありました
初めて父親が泣きじゃくる姿は今でも忘れられない出来事でした
【勉強は真面目にする、習い事はサボらない】
というルールがあったことで
そんなことを思いながらも私はこの日、英会話スクールのレッスンが入ってたので
「少しだけレッスンに行って、また戻ってくるね」と言って病室を出て
胸騒ぎがする複雑な感情で廊下を歩いてエレベーターに乗ろうとしたら
乗ろうと思ったエレベーターがいってしまい、次のエレベーターを待とうと思ったその瞬間
後ろから看護婦さんが慌ただしく走って私を追いかけてきて
「戻ってきてください!!容態が急変しました!危ないです」と言われて
慌てて病室に戻った私は
とうとう、この時がきたのか・・・と思い
数分後の19時を過ぎた頃に父親は息を引き取り、この世を去りました
あの時、乗るはずのエレベーターに乗れてたら、父親の死に目にはあえなかったと思います
きっと父親がこの世を旅立つときに
どうしても私と一緒にいたかったから引き戻したんだと今でも思ってます
「半年の命」と余命宣告をされてましたが
余命宣告をされて8か月後に父親が旅立ちました
そして父親が旅立ったのと同時に
父親が私の将来を相当心配してて、それが一番の気がかりだったことを知ってたので
私は「旅立った父親が、あの世で心配しないように私は絶対に立派に生きる」と心に強く誓い
あの世にいった父親を安心させたい気持ちが芽生え
高校2年生からも勉強と習い事と部活の日々の忙しい生活を送ってました
そんな中で高校生の時に私はまさかのアイドルになりたい思いが芽生えました
(バカだなと思うんだったら思ってもらって大丈夫です)
当時SPEED、モーニング娘が凄く流行ってて
自分と年齢が変わらない女の子や同じ年齢の女の子が笑顔でたくさんの人に元気を与えてて
多くの人に勇気を与えてて
「私もあんな風になりたいな」とテレビや紙面を見ながら思う日々でした
「私もモーニング娘になりたい!」「センターに立って人に囲まれて、みんなに元気を与えたい」と
今思うと超恥ずかしい事を本気で思ってました笑
可愛い衣装を着て歌って踊って可愛いからアイドルになりたかったのではなくて
アイドルという職業はテレビや紙面を通じて
いつも笑顔で人を元気にして勇気を与える職業だと思った事から
私も人を元気にして勇気を与えられる人になりたいと思い
アイドルになりたいと思ってました
そして当然ですが、モーニング娘になれるわけがなく
ここでアイドルになりたかったという私の夢は終わりましたが
この夢は17年後に少し違う形で叶う事になります
高校を卒業して就職はせずに進学して
学校の先生を目指す事にした私は猛勉強するかと思いきや
高校時代に詰めて勉強しすぎたのか、その反動で勉強をしなくなり
本当に恥ずかしいことですが単位が取れずに学校の先生になるという夢がなくなりました
高校時代、成績優秀の優等生時代があったことから
「元優等生からの転落」ということで
私の中で何かが大きく崩れたような気がして
ここで完全に人生に挫折をしました
大きな夢を失った私は
「自分は無能でダメなやつだ」と思い
全てがなくなった気がしました
高校時代に成績がよくて誰もが認める優等生だったことから
このときのショックは本当に大きかったです
「将来は学校の先生になる」という約束で
よく考えたら高校生の時に500万以上の大金を親に学費で払ってもらって
大学に進学したのに
職にもつかずに無職になったり、バイトしてみたり、パチンコ屋に通いだしたり
バイト行ってもすぐ辞めたり
留学したら何か見つかるかもしれないと留学を目指して英語を勉強してみるが3日で辞めたり
家の近所の小さなお店のバイトすら採用されなかったり
定職にもつかずにフラフラしてたり
何をしても続かなかったりで
本当にだらしない生活を送ってたので
家で話し合いの場を設けられてしまい
「あんたにウン百万使って、これかいな」
「あんたにかかったお金を全部返して」と当たり前ですが怒られたことがあったので
何年かかっても私にかかった学費は全額返済しようと決意しましたが
当時、経済力がなかった全く私は返すアテは全くありませんでしたが
本当に申し訳ないことをしてしまった罪悪感があったため
何年かかってでも返済しようと思ってました
このお金は2年~3年ぐらいで全額お返しして無事に解決しました
16歳の時に父親が旅立った時に
「立派に生きる」と心に誓って旅立つ父親と約束を交わしたはずなのに
情けなさすぎる自分になってしまって
「パパ・・・本当にごめんね」と
本当に旅立った父親に申し訳ない気持ちでいっぱいになり
「私は本当にダメなやつだな」と
またここで再認識してしまい
私は完全にここで人生を諦めてしまいました
浜崎あゆみに強く憧れて20代の若い頃から金髪にデカイサングラスという今のスタイルが始まりました
この派手な見た目も怒られて何かと20代は大変でした
今は起業できて派手な見た目ですら仕事の一つになったので
あまり言われなくなりました笑
そんな感じで20代はバイトしたり、無職になったり、フラフラする生活を送る中で
30歳になる年にまた大事件が起きました
次は母親が突然意識不明になり
母親が心臓を悪くして、呼吸困難になり、瀕死の状態になりました
「お母さんは助からないかもしれない」と言われて
この時は愛知県に結婚して家を出た妹がまだ幼かった1歳の子供を連れて
車で4時間かけて夜中突然帰って
おばあちゃんや叔父さんとみんなで病院に行ったり
妹とまだ幼かった妹の子供と私で病院に行ったり
あの頃は本当に大変でしたが奇跡の復活を果たして今は元気に過ごしております
そして母親が奇跡の復活を果たして
飲食店でのアルバイト生活の中で
「私、親が死んだら一人になる、この先どうしよう」と気づいて
急にとてつもなく不安を感じたり
何より
このアルバイト生活が一生続くと思ったら
とんでもなく不安になってしまい
一時間1000円ちょっとで、土日祝日は時給50円アップとか
しょーもないな・・・と思ってしまったり
(嫌な気持ちにさせたらごめんなさいね)
何をするにもお金で考えなればいけないこと、財布にお金が入ってないことが嫌になって
これが一生続くと思ったら本当に嫌だったんです
低賃金で働いて自分の時間もない人生に嫌気がさしました
そんな生活が続くと思うと本当に嫌になって
何故かバイトすら行かなくなり
無職になりました
当時32歳の無職だった私は
「会社員をする」という選択肢はなかったんで
だったら自分でやるしかないと思い
何か自分で出来る事はないかなと探してたところ
知人の紹介で紹介してもらった人に
「物販やってみたら?」「カナは頭悪いから物販ぐらいしか出来る事がない」と言われて
本気で人生を変えたいと思った私は他を選んでる余裕はなく
「誰にも縛られなくて、お金に困らず遊んで暮らしたい」という思いがあって
素直に物販で2016年9月14日に本当に何もない状態で起業するにしました
遊んで暮らすためには
誰かに雇われて会社員をするというのは不可能なので
「もう自分でやるしかない」と思いました
あとは私に変なプライドがあって
物販で起業した当初は当然経済力はなかったんですが
「男に頼って生きたくない」という思いもあって
自分一人で生きていくために、どうしても経済力をつけたいと思うようになりました
パソコンも持ってなかったし、現金もほとんどなく、物販で武器になると言われてるクレジットカードもなく
(物販は資金があまりなくても、カード枠が資金に変わるから)
何もない状態から「もう人生を変えるにはコレにしか残されてないからやるしかない」と思い
母親に頭を下げてパソコン代を借りて、無職だったことからクレジットカードすら持ってなかったので家族カードを使わせてもらって
もう毎日、泣きながらでも慣れないパソコンと向かい合って
ずっと物販の勉強をやってました
物販はじめるまで本当に何をしても続かなく
だらしない生活を送ってたので
最初のスタートの時は本当に大変でした
正直、心が折れそうになったことは何度もありましたが
「今ここで辞めたら本当に私はダメになる」
「私は絶対変わるって決めたんだから」と自分に言い聞かせる毎日で
この頃は一番苦しかった時期でした
私があまりにも出来が悪すぎたことから
当時の物販の先生が非常に困ってました
泣きながら毎日やってて当時の物販の先生から
「今日は泣いてませんか?大丈夫ですか?」とメッセージが来ることもありました
そんな中でも毎日とにかく必死で手を動かして
1日一回、必ず先生に連絡をして
無我夢中で毎日、本当に命がけでやってました
「もうこれが最後のチャンスなんだから」
私が毎日のように思って過ごしてました
・「私は絶対に辞めない」
・「私が辞める選択肢をすれば私を応援してくれる人を裏切る事になる」
・「こんなところで辞めるようなら人生なんて変える事なんて絶対に無理」
この3つの思いが常に私の頭の中にありました
そして私は2016年12月、物販を始めて
3カ月目に利益20万を達成して
無能だと思ってた私も「先生の指導のもとでやれば出来るんだ」と思い
すごく自信がつきました
「何も出来ない無能だと思ってた私でもやったら出来るんだ」と思い
自分の努力は自分を裏切らないと思い、涙が溢れて
2016年を終えて、2017年を明るく迎えた矢先
ここで私の心をへし折る事件が起きてしまいます
「よし!稼げるようになった!」と思いきや
2017年1月の物販を始めて4か月目で利益5万になってしまい
早くも自信を失ってしまいました
手が震えて、心臓がバクバクしてしまい
「どうしよう・・・」とまた自分の将来が怖くなって
更に追い打ちをかけるように
その翌月の物販を始めて5か月目は利益1万になってしまい
ここでまた自信を失ってしまい
「もうダメかもしれない」と
早くも挫折しそうになってしまいました
これから上がっていくと思ってた矢先に、どんどん下がってしまい
また自信を失いましたが
「こんなところで辞めたら、これまでの半年がムダになる」と思い
粘り強い私は6カ月目で利益33万まで復活しました
そして物販を始めて8か月目には一気に爆伸びして
利益が70万ぐらいになりました
商品数は少なくて、3商品ぐらいだった気がします
この頃33歳になった2017年3月頃に私は当時の物販の先生に
「SNSで情報発信をしたら、アイドルになることが出来るよ。モーニング娘にはなられへんけどな」と飲み会の席で笑いながら勧めてもらい
自分で言うのも何ですが
私は非常に素直なので教えてもらったことはやろうと思って
SNSの情報発信を勧めてもらってやることにしたんです
「私、文章なんて書けない」「人を応援する文章なんて書けない」と言いながらも
「思ったことを、そのまま書けばいいよ」と言われた事で
紙とペンを用意して
何時間も紙と見つめあいながらペンを動かして
「思ったまま書けばいいよ」と言ってもらえたことから
私がどんな思いで起業することにしたのか?私の伝えたい思いを思ったまま書いて
SNSに載せてみたところ
私も思いに共感をしてくれる人が信じられない事に
たくさん現れて
「かなるこさんのおかげで人生が変わった」
「かなるこさんから元気をもらった」
「かなるこちゃんから勇気をもらえた」と
たくさんの人に言われて
その時に
16歳にアイドルになりたかったことを思い出し
人に元気と勇気を与えられたことで
「16歳の時に叶わなかったアイドルになる」という夢が
ちょっと形は違ったけど
「人に勇気と元気を与えられる人になりたい」という部分では
私の16歳の時のアイドルになりたかったという夢が叶ったような気がして
夢って何年もかかっても叶うことを知りました
「夢って叶うんだな」と思ったのと同時に
人生で無駄な事なんて何ひとつないことを知りました
物販とSNSをやっていて何か次のステージに進める事はないかなと思い
色々とネットサーフィンをしてたり、いろんな人に相談したり、時にはセミナーに参加してみたりしてた中で
なかなか私の次のステージが見つからなかったときに
あれは忘れもしない
2018年4月21日の土曜日、午後の晴れた日に
大阪の「西中島南方」で探し求めてた
私の人生を大きく変えてくれた3人目のメンターが突然私の目の前に現れました
それが中国輸入の先生でした
私の3人目のメンターの中国輸入の先生と
後に一緒にスクール運営という大きなことをする事になるなんて
当たり前ですが、この頃誰も全く予想してませんでした
まだ一言も話してなくて、どこの誰か名前も知らなかった状態の時に
会った瞬間に
「あ・・・いた!3人目のメンターを見つけた。この人だ。絶対間違いない!!」と
直感で思い
暗く静まりかけた私の人生が再び息を吹き返して
一気に明るくなって光が差し込んだような感じがしました
今、思うとあのときの直感で全てが始まったような気がします
「先生の雰囲気が良かったから」ということと
自分が動かなくても全てネット上で完結できて、パソコン1台でどこでも出来る
家に商品も届かないから在庫保管スペースもいらない
手間のかかる梱包や発送もしなくていい
初心者でも出来て
資金があまりない初心者でも大きく利益を拡大できる
資金もそこまでかからないという中国輸入のビジネスモデルに心を打たれて
中国輸入スクールに即決で入会することを決めたんですが
またここでも事件が起きてしまい・・・
当時、付き合ってた彼氏に
「中国輸入のスクールなんて絶対に入るな」「カナには絶対ムリ!受講費のムダ!」と
何故か激怒されました
「私は自分の人生は自分で決める。舵を切るのは他の誰でもなく私だ」との思いから
反対を押し切ってというか反対を無視して入会しました
「受講費を払ってくれって一言も言うてへんのに、なんで反対されなあかんねん。黙れよな」
「そんな怒らんでもええがな」「応援してくれよ」と
心の中で思ってたのは、いうまでもないです
少し話はズレますが何かを始めようとしたとき、必ずと言っていいほど
周りから反対されますが
法に触れてない事なら
絶対に人の意見に左右されずに必ず自分で決めてください
自分の人生を本気で変えようと思ったときは
「(旦那OR嫁)家族が反対してる」
「彼氏or彼女が反対してる」なんて一切関係ありません
ちょっと厳しいことを言いますが
判断能力がない子供じゃないんだし
いい年した大人なんだから「やるか?やらないか?」は
どんなことがあっても自分で決めることです
周りの意見に左右されて自分で決める事が出来ない人は
人生を変えるなんて大きな事が出来るわけがありません
「自分の人生は自分で決める」ということです
自分の人生の舵は自分で切れ!!です
そうしないと本当に後に大きなものが手に入らなくなります
そんな私はアマゾン中国輸入では先生の指導がよかったことで
開始して2カ月で余裕で20万以上の利益を出すことが出来ました
教えてくれる先生が良かったら
何も出来なかった人でも何とかなるということは
私の恥ずかしすぎる過去の話から証明できたと思ってます
私があの時、当時付き合ってた彼氏の反対意見に従って中国輸入スクールに入ってなかったら
今の私はありませんし・・・
こんな風に仲間に囲まれて楽しい時間を過ごすことは出来なかったので
本当に中国輸入スクールに入ると2018年4月に私自身で決めて本当に良かったです
自分の人生は自分で築き上げるんです
あの2018年4月に中国輸入の先生との一瞬の出会いから
7年後に仲間と笑いあえる景色が見れるなんて思いませんでしたが
今思うと、これこそが私が本当に望んでたことでした
2018年4月に中国輸入スクールに入って
「さぁ次のステージに行こう」と思ったとき
ここで人生最大の大事件が起きてしまいます・・・
中国輸入スクールに入って数日後の34歳の時に
まさかの死にかけの交通事故にあいました
右折したところ、飲酒運転の軽トラックに思いっきり激突されて
今までに経験したことのない怖さを体験して派手な交通事故を起こされました
「あ!」と思った一瞬に衝突されて
運転してた車内にこれまでに聞いたことがないぐらいぐらいのガシャーンと大きな音と共に
車内がガラスまみれになり
「あ、、、私、、、死んだ」と思ったのと同時に
16歳の時にこの世を去った父親の顔がよぎったり
何が起きてるかわからない錯乱状態になりました
車が衝突されると車内の音が消えてエアーバックが出て
悲惨な状態になってます
私の場合は助手席の天井からもエアーバックが出てたそうです
軽トラックのおじさんは頭から血を流してて
救急車で運ばれていきました
確実に人生で一番怖かったです
あとから聞いた話ですが、死んでてもおかしくなかった大事故だったそうで
ちょっとしたカスリ傷一つで済んだのは奇跡だったそうです
もしかしたら16歳の時にこの世を去った父親が
「まだこっちに来るな!カナにはまだやってないことがあるやろ」と言ってたのかもしれませんね
私の愛車が無残な姿になりました・・・
不幸中の幸いだったことは助手席に誰も乗ってなく
車内は私一人だったことです
車体が頑丈で硬くて事故に強い車で有名なベンツが完全に潰れました・・・
この一か月後、次は少しグレードアップした白ベンツの新車にしたんですが
大事故のトラウマから私は車を運転することが出来なくなりました
後から聞いた話ですが、行きつけのヤナセの営業所で
「すごい事故を起こした人」で有名になってたそうです
ヤナセの営業所の人で、これを見た人全員ビビってたそうで
頑丈なベンツが、ここまでなることは滅多とないらしく
「これで生きてて、かすり傷で済んだって奇跡ですよ」と言われました
当時この事故の写真をSNSに載せると色んな人から色んな意見をもらって
若かった私は「私は見た目だけじゃなく、やることも派手やねん!ベンツ1台つぶすから!」と
笑い話にしたりもしてました
これだけ怖い思いをして死にかけた出来事だったから
もう笑い話にするしかないわけです
こういう映像って教習所のスライドか教科書で見るものだと思ってたのに
目の前で見る事になるなんて思いませんでした
そんな死にかけ事件を起こしながらも
アフィリエイトしてみたり、コンサルをしてみたり
2019年5月1日の令和の一日目に私には一生無縁だと思ってた社長デビューが出来たり
色んな事をやっていくうちに、たくさんのご縁があって
今の私のスクール運営という仕事に辿り着きました
みんなの笑顔が見れることが私の最大の原動力になり
みんなとこれからも一緒にいたいという思いがあるので
辛いことがあったり、何度失敗しても立ち上がれるんです
・「全国に一緒に頑張る仲間を作りたい」
・「みんなと笑顔になれる場所」
・「みんなの居場所を作りたい」
・「一人一人が主役になれる場所を作りたい」
・「仲間こそが自分の人生を大きく変える」
という思いがあって私はスクール運営の仕事をしてます
私と運営メンバーの夢があって
いつかスクールメンバーを1000人にして
みんなの居場所になって、みんなの夢が叶うスクールにするという大きな夢が出来て
それを叶えるために今、活動をしてます
全国に仲間がいるって心強いし
みんながいれば一人じゃ出来ない事も出来るようになるし
みんながいれば、みんなのそれぞれの夢が叶うと思ってます
みんなの居場所になって、みんなの夢が叶うスクールって
すごく素敵だなと私は本気で思ってます
それにビジネスの世界は本当に厳しいところなので
その厳しいところでやり遂げるためには
絶対「仲間の存在」が必要なので
やりとげるため、挫折しないために
「仲間」がいる心強さを感じてもらうために
全国にたくさんの仲間を作っていきたい思いがあります
経済力を持って嬉しかった事は、ブランドものが買えるようになったとか、高級店に行けるようになったとか、そんな事ではありません
もちろん自分のお金で出来るようになったことが多くなったのは嬉しいことですが
「仲間が出来た事」とは別に私が嬉しかった事は
ブランド品を買えるようになったとか高級店に行けるようになったとか
そんな事ではないです
人それぞれなので、否定するわけではないですが
色んな人のSNS見てたらお金の自慢をしてる人や
ブランド物が買えるようになったと言ってる人を
よく見かけると思いますが凄くダサいと思ってしまいます
(たいして似合ってもないのに笑。これは決して悪口ではありません笑)
私が経済力を持って嬉しかった事は
親孝行が出来るようになった、家族と過ごす時間が多くなった、好きな事を好きな時に出来るようになったというのもありますが
浜崎あゆみのライブ遠征が出来て、グッツが気にせず買えるようになったこととか
コンビニや100キンでお金を計算しなくても気軽に買えるようになったとか
服を買いに行っても好きなだけ買えるようになったとか
日常的によくある事が小さなことが出来るようになったことです
多くの人が望んでる事って
今の日常生活の中でちょっと生活レベルが上がる事を願ってて
高級店やブランド品を買う事じゃないんだと思うんです
ちなみに私はお金がかかる女という派手なイメージを持ってる人が多いと思いますが
私は高級店や高級ホテルよりも動物園の方が好きですからね笑
可愛さアピールしてるわけではなく、動物園が好きなのは本当で
クマ、トラ、ライオンなど道では絶対に出会いたくない動物を見つめるのが好きなんです笑
北海道の旭川動物園に行ってみたいんですが
友達も彼氏もいないので誰も一緒に行ってくれないので
誰か一緒に行ってください笑
スクールの運営メンバーです
私の隣が私の人生を大きく変えてくれた3人目のメンターの中国輸入の先生
私の正面が中国輸入スクールで同じ受講生だった人で今はスクールの講師の先生です
2018年4月に中国輸入スクールに入会したときは
この3人で後にスクール運営をする事になるなんて
誰一人たりとも想像してなかったので
本当に人生はどこでどう変わるかなんてわかりませんね
私のスクール生も全くの初心者の状態で
月収100万を達成してくれたり
毎日のように収入を得てくれるようになったり
フルタイムで働く子育てママが
たくさん成果を出してくれました
私のスクール生のほぼ全員が副業経験なし&物販経験なしで始めて
成果を出してる人ばかりです
私がスタートの時と同じく
パソコンを買うことから始めて成果を出す人もいてます
長くなりましたが
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます
私が最後にお伝えしたいことは
ありきたりな言葉かもしれませんが
「人生はどこで変わるかわからない」から
今何も出来ないからって何もせずに人生を諦めないでほしいです
今までどうしてたかなんて関係ない
要はこれから
だということです
どうしようもなく欠点だらけだった私が
「命がけでやれば思い通りの人生は手に入る」と証明してます
多くの人は本気になってないだけです
今の時代、インターネットやSNSが誰でも使えることから
そこらじゅうにチャンスは転がってるんです
その転がってるチャンスを、あなたが拾おうとしてないだけです
どんな小さなことでもいいので
何かを始めてみてください
過去の私がしてたようにセミナーに行くとか自分より成功してる人に相談してみるとか
そんな小さな事から始めたらいいんです
それが後に自分の人生を大きく変えるキッカケに絶対になります
そして自分の人生は自分で決めて、自分の人生を自分で築き上げてほしいです
パソコン音痴以下、電源の付け方がわからない
「長押し」の意味さえわからなかった欠点だらけだった私はパソコンで仕事をするようになるなんて
私の人生では全く予想しなかったことでした
ちょっとした小さなキッカケで人生は変わるんだから
「自分なんか。。。」とか思わずに
とりあえずやってみることです
その小さな行動が後に大きな結果を必ず作るから
無駄な事なんて一つもないんです
やってみないとわからない
何もしてないのに諦める人生ほど、、、つまらない生き方はないんだということを
忘れないでほしいです
私でも何度も自信を失ったこともあるし
何度も失敗してきたし
もう全てが終わりだと思ったこともあったけれど
失敗や転落を積み重ねてきたからこそ今がある
人間は無限の可能性がある
可能性を可能性で終わらせないこと
今これを読んでくれてるあなたに伝えたいことがあって
私のどうしようもない20代から起業するまでの話でわかったように
バイトも続かない、何をしても続かなかった
誰もが認める社会不適合者だった私でも起業することが出来たから
あなたも出来ると思って
自分の人生を変えるために命がけでやってほしいです
なんなら私を踏み台にしてもらってもいいです
「かなるこみたいな堕落人間でも出来たんだから自分にも出来るはず」と思ってほしいです
私の言葉一つが、あなたの人生を変えるキッカケになってくれたら嬉しいです
熱く語ってたら、かなり長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださって
本当にありがとうございました
私は実は自分のことを話すのが好きではないんですが
ここまで読んでもらえたなら思い切って打ちかけてよかったです
今回は書けなかった起業してからの失敗話は
また別の機会に書きたいと思います
これからも末永く、よろしくお願いします
感想はインスタグラムのDMにて、お待ちしております